媚び売りか応援か

サロンの違いについて。

 

某サロンはインフルエンサーが主催しているのだが、少し変わった特徴をもつ。

 

それは中央集権型ではなく、分散型で活動しているということだ。

 

通常、サロンでは運営者がある一定の

ルールの下、各部屋(例えば、スキルアップやり方を教え合う部屋、など)を監視して取り仕切っていく。

 

しかし、分散型グループでは、参加者がそれぞれに監視し合い、秩序を保って活動を行なっている。

 

たまに他のサロンの話を聞かせてもらうのだが(有料サロンのため可能な範囲で)

 

あるサロンではインフルエンサーが完全に統治する中央集権型タイプのようで、

 

日々インフルエンサーの想いが語られ、多数の参加者が共鳴のコメントを流していくのだという。

 

信者の媚び売りかと思ったが、そういうわけではないらしい。

 

その参加者たちは、もちろんインフルエンサーへのリスペクトの気持ちがあって入会しているのだが、

 

ただ信者として搾取されているのではなく、

 

インフルエンサーが目指している境地を共に歩みたい、と応援する気持ちから入会を決めた人が多数なのだと。

 

へえ。面白いじゃん。

 

と率直に思った。

 

媚び売りと応援は明確に違う。

 

媚び売りは、インフルエンサーが放つ人生のアドバイスや想いにただ「大事っすね!」と返事するだけだが、、(つまりただのテイカー)

 

応援は、共感しつつもさらにこうした方が盛り上がるんじゃないかな、と積極的にサロンの外に動きを見せたり、インフルエンサーに実現のための提案したりする印象。(つまりギバーの側面を持つ)

 

中央集権型でありつつも、脳死イカーの集まりではなく、多くのギバーによって支えられたグループなのだ。

 

 

果たしてどちらに属した方が自己実現に近づけるか、改めて考えさせられた。

 

 

 

実店舗のある銀行と縁を切りました。

 

銀行の口座を閉じるために、残高の振り込みした時の話。

 

あまりに高額な振込だったので、窓口の人が驚いていた。

 

彼が裏の担当者にダブルチェックをもらいに行くと、その人も驚いて窓口にわざわざやってきた。

 

出てきたのは、なんと支店長だった。

 

一瞬マネーロンダリングを疑われたが、(いやどうみてもしなさそうな風貌なのに)、念のため自身の別口座に移し替えるだけかと確認された。

 

そうです。と告げると、

 

支店長は少し悲しげな顔をして「解約ですか?」と尋ねてきた。

 

イヤーーーー解約するかは分からないんですがッ、、

 

と変に取り繕う自分。

 

結局、スミマセン、と苦笑いして銀行を後にした。

 

 

 

この銀行は実店舗、ATM、ネットバンクそれぞれ力を入れつつあるが、結局窓口に行かないと解決しないことが多い。

 

それに正しい暗証番号を打っても弾かれることがある。

 

諸々の不便さをふまえて、(実質)解約しにきたのだが。

 

とにかく変に気まずい雰囲気になってしまった。

 

この場合なんと返答すれば良かったのだろう。

 

窓口のある銀行は、顧客離れを気にしながら働いているのだろうか。

 

まあ二度と会うことのない銀行員だし、気にする必要もなかったのかもしれない。

 

あとは無事に振込が完了することを祈るばかりだ。

 

 

 

 

アイドルとプラスチックと。

なぜ日本のアイドルは、いつまでもプラスチックのCDを売り続けるのだろうか。

 

アーティストに申し訳ないが、正直価値があるのはそのプラスチック本体よりも、中のシリアルコードなのであって。

 

音源自体はサブスクでいくらでも聴けるから、あってもなくても良い。

 

シリアル目当てで買ったCDたちはそのまま廃棄されるのを待つか、箪笥の肥やしになるまでだ。

 

音楽業界の売上ランキングでは、音盤と円盤それぞれの総合成績が反映されることが多い。

 

シリアル目的に買われた円盤が多ければ多いほど、売上ランキングをぶち上げることができるので、三方よしなはず。

 

プラスチック円盤が廃れないのはそういうところに原因があるのか、ないのか。

 

ただ、プラスチックである必要があるのかとしみじみ疑問に思う。

 

環境どうこうではなく、単に捨てるのか面倒で(燃えるゴミに出せないから)、大量に店頭で買えばかさばって持ち帰るのが大変になるからだ。

 

勝手なお願いだが、プラスチック製はやめろくださいと伝えたい。

 

 

 

信者商法

 

Twitterのビジネス界隈で人波乱が起きていたので、今日はそれについて考えをまとめておこうと思う。

 

概要としては、とあるナンパ界隈のインフルエンサー(?)とビジネス界隈の重鎮が、同時期に情報商材を販売して、売上を競うような内容だった。

 

『お祭り』と称され一大イベントとして終わったわけだが、結果としては物議を醸すこととなる。

 

お互いがTwitter上で購入を煽り、彼らの信者たちが身内でアフィリエイト販売していたからだ。

 

本来商品を売るときはスクリーニングといって、購買対象を絞り、教育して購入させるものだ。

 

しかし今回はTwitterで幅広く声がけしていたため、アンチが増えてしまい、インフルエンサーとしての信頼を損なってしまった。

 

一方で信者たちは、身の丈にあった情報かどうか見極めもせず脳死で購入し、紹介料を得ることで儲けていた。

 

インフルエンサー側の真意は不明だが、炎上情報であれば成功したのではないか、という側面もある。

 

私が疑問視しているのは信者たちのほうだ。

 

自分たちがカモになっていることも知らず、自分の住む場所の有名人が商品を販売したからといってすぐに飛びつく。

 

おそらくカモたちは同じような内容の商材をこれまでも死ぬほど買ってきたが懲りもせずまた買ってしまったのだろう。

 

だから稼げないんじゃないの、と一言言ってやりたいが特大ブーメランなので静かにしておこう。

 

信者商法は恐ろしい。

 

リテラシー皆無の情弱が0→1でアフィリエイトできれば上出来かとは思うが、

 

果たしてその商材が生かされる場はくるのか。

 

 

 

悩み

 

自分の現在地がわからない

 

どこに到達すればいいのかわからない

 

何年考えても答えが出ない

 

 

生きてていいんだろうか

 

 

人間不安になるとスピリチュアルなものを求めたり、自己啓発本を読み漁ったりしたくなる。

 

今朝の自分も、そう。

 

落ちつこう。

 

不安な時ほどお金を使いたくなるものだが、

 

こういう大事なのは手元に資産を残すことだ。

 

落ち着け自分。

 

自己啓発本を読みたくなったら、いったんAmazonから離れてYouTubeにいこう。

 

自分の代わりに読んでまとめてくれる人の話しを聞こう。

 

※本を買うのが悪いわけではなく、不安に駆られて衝動買いするのが問題だと言いたい。

 

 

4にたくはないが消えたくはなる。

 

人生50年ならなあ。100年って長すぎるよ。

 

メルカリの経験は武器になる

 

太ももの外側が筋肉痛のように痛む。

神経痛なのだろうか。

 

昨日、欲しかったものの値下げ交渉したらあっさり受理された。

 

メルカリでありがちだが、希少価値のあるものでも、しばらく売れないと、出品者同士で値下げ競争が始まる。

 

その波にうまいこと乗れたというわけだ。

 

嬉しすぎて脳汁がドバドバでる。

 

チャンスとは案外転がっているものだ。

 

 

どうしても欲しいものがあるときに考えたいこと

 

自分にとって価値あるものは、

人にとってはただのゴミ。

 

この言葉の真意を考えさせられたGWだった。

 

例えばポケモンカード

 

側から見れば、ただの紙(ごめんなさい)に何十万円と価値がつくというのは信じがたいものた。

 

しかしコレクターや転売ヤーにとっては、喉から手が出るほど欲しいものだし、希少価値のあるものだから、大枚叩いても買おうとする。

 

事実の表面だけをみて、第三者が価格の高騰具合をみてあーだこーだ言うのはいかがなものか?

 

 

先日とある番組で、ニッチだけど需要のある商品特集をやっていたが、それに通ずるものがあると感じた。

 

刺さる人だけが買えばいい。

 

それで経済が回るならむしろ大歓迎だ。

 

 

無理して周りの理解を得ようとしなくても良いと思う。

 

問題があるとすれば、あまりにのめり込みすぎて、使ってはいけないお金(家族を養うお金や、もしもの時のために手元に置いている現金など)に着手することだろうか。

 

もし自分があるものをコレクションしている件で家族がカンカンに怒っていたら、

 

それは価値観云々ではなく、お金の使い方に重大なミスが起こっているはずだから、早急に対処すること。

 

 

ただ所有欲を満たす浪費になっていないか?

 

胸に手を当てて、自分に問いかけて欲しい。

 

 

自分が何に価値を感じ、お金を出して手に入れようとするのか。

 

果たして浪費として終わるのか、かけがえのない心の支えとなってくれるものなのか。

 

ただ流行りに流されるのではなく、

 

確固たる自分というものを持っていれば迷うことはないのだから。